仕事をしていると、どれだけ努力しても「ある日突然それが全て無駄になる」という場合があります。
プロジェクトの終了や方針転換など、自分ではどうにもできない「終わり」は、現場で働く人間にとって決して珍しいものではありません。
『異世界放浪メシ』第5話で描かれるのは、まさにそんな「世界の無慈悲さ」と向き合う瞬間でした。
森の生態系の頂点に立つ魔物たちの戦いの跡を目の当たりにし、ムコーダはこの世界の厳しさを肌で感じることになります。その光景は、私がエンジニアとして経験した、理不尽なプロジェクト終了や、極限状態での納品の達成感とどこか重なって見えました。
この記事では、このエピソードを手がかりに「努力が突然無駄になることがあっても、なぜ人は仕事を続けるのか」という視点から、現場で働く人間の覚悟について考えてみたいと思います。
理不尽な終わりや報われない経験に出会ったとき、仕事とどう向き合えばいいかを考えるヒントになれば嬉しいです。
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現場の情熱を置き去りにする「無慈悲な幕引き」
ムコーダが遭遇した森の凄惨な戦いの跡。
自分の力ではどうにもならない弱肉強食の現実は、会社員時代の「プロジェクトの突然終了」に似ています。
私の場合、かつて海外と共同で進めていた大規模なプロジェクトがありました。私を含め現場のエンジニアたちは、何度も海外出張を重ね、現地のメンバーと顔を突き合わせて議論し、寝食を忘れて仕様を詰め、実装を進めていました。
「良いものを作ろう」という熱気だけが、そこには確かにありました。
ところがです。
ある日突然、上層部から「プロジェクトの中止」が言い渡されました。
理由は詳しくは語られませんでしたが、経営判断や状況の変化だったと思います。
現場がどれほど情熱を注いでいようとも、組織の論理という「無慈悲な力」の前では、一瞬で全てが白紙に戻る場合があります。
あの時の、やり場のない虚脱感。
一方で過酷な労働から解放されるという安堵が入り混じり、一気に力が抜けていった感覚は、今でも忘れられません。
経験上、どんなに準備を重ねても、自分ではコントロールできない「終わり」が突然訪れることがあります。プロジェクトの終了は、必ずしも現場の努力とは関係なく決まることもあるのです。
徹夜明けの「うぉ〜!」という万歳。極限の対価
「自分ではコントロールできない終わり」がある一方で、頑張って最後の瞬間を迎える終わりも勿論あります。
ムコーダは命懸けの依頼を完遂し、多額の報酬と美味しい食事を手にしますが、私にとってそれに近いのは、やはり「納品完了」の瞬間でした。
特にリリース直前の不具合潰しは皆必死です。連日の徹夜、疲労困憊のメンバーが並ぶ仕事場。誰もが「もう不具合はないか?」「これで大丈夫か?」と、張り詰めた空気の中で最後の確認を続けています。
そこに、「先方からOKが出た!」という一報が舞い込みます。
その瞬間、黙々と作業をしていたオフィスに「うぉ〜〜!」という地鳴りのような叫び声が上がり、あちこちで万歳が沸き起こります。
あの感無量の瞬間。
それまでの苦労が全て報われ、「これでゆっくり眠ることが出来る」と思えるあの瞬間こそが、エンジニアにとっての真の「対価」なのかもしれません。
覚悟の源泉は、愛する人の笑顔
ムコーダは世界の厳しさを知りながらも、この世界で生きていく覚悟を決めました。
私も、48歳で早期退職し、52歳の今、
こうしてブログという新しい挑戦をしていますが、常に「覚悟」が必要です。
フリーランスという立場であればあるほど、稼ぎを安定させるためには常に先を読み、これだと信じた道を「自己責任」で進まなければなりません。
逃げ道がないからこそ、一歩を踏み出す時の覚悟は重くなります。
私が「よし、やるぞ」と覚悟を固める時、いつも心に浮かぶのは妻の顔です。
「妻には笑っていてほしい」
そのシンプルな願いが、
私の全ての行動の指針であり、覚悟の源泉になっています。
ビジネスの成功も、スキルの習得も、
突き詰めれば大切な人が穏やかに笑っていられる環境を守るための手段に過ぎません。
その目的が明確だからこそ、
私はどんな変化も恐れずに、新しい「放浪」を続けていけるのだと思います。
まとめ
世界の無慈悲さを知ることは、決して不幸なことではないのだと思います。
努力が報われないこともあるし、現場の情熱とは関係なく終わる仕事もあります。
それでも、人はその中で小さな達成感を見つけたり、大切な人のためにもう一度立ち上がったりしながら、また次の仕事に向かっていくのでしょう。
理不尽さを知っているからこそ、平穏な時間のありがたさや、やり切ったあとの安堵も深く感じられる。そんな現場の感覚を、この話は思い出させてくれる気がします。


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