学生時代、からかわれていたクラスメートを前に、私は周囲へ合わせて笑ってしまったことがあります。本当は違和感があったのに、自分も標的になるのが怖くて何も言えませんでした。
仕事を始めてからも、周囲に合わせるか、自分の考えを伝えるか迷う場面はあります。ただ、相手の根拠を理解し、自分の判断を変えたこともありました。
この記事では、異常時ログの不足をそのままにしなかった経験と、設計レビューで先輩の意見を受け入れた経験を振り返ります。周囲の空気だけで同意することと、根拠を理解して判断を変えることの違いを整理しました。
周囲に合わせて笑った学生時代の後悔
学生時代、クラスの中で一人の生徒がからかわれていたことがありました。
私はその場のやり取りを見ながら、少しやりすぎかもしれない、と思いましたが、それでも止めることはできませんでした。自分が同じように巻き込まれれるのはちょっと…、といった気持ちが強く、周囲が笑ったときに私も合わせて笑ってしまいました。
その場をやり過ごすだけなら、それが一番簡単だったのかもしれません。反対すれば空気を乱しますし、自分がどう見られるかも気になります。
ただ後から振り返ったとき、私はなぜ笑ったのか自分に問いかけても説明できませんでした。面白かったからでも、正しいと思ったからでもありません。周囲と違う態度を取るのが怖かっただけです。
この経験は、仕事で意見を求められたときにも頭に残りました。
周囲と同じ結論を選ぶこと自体が悪いわけではありませんが、問題は、自分なりの理由がなく、空気だけで決めていることでした。
ログ不足のまま進める空気に流されなかった
仕事でこの後悔を思い出したことがあります。
システム改修の会議で、画面上の動作はできているものの、異常が起きたときのログが不足したまま納品するかどうかを話していました。
正常に使えている間は、ログの不足は利用者から見えません。そのため、会議ではこのまま進めてもよいのではないかという空気になっていました。
私も、黙っていれば話は早く終わると思いました。
でも実際に異常が起きた場合、後から保守を担当する人が、どこまで処理が進み、何が原因で止まったのかを追えなくなる可能性があります。画面が動くことと、問題が起きたときに原因を調べられることは別です。
学生時代のように、その場に合わせて何も言わなければ、あとで自分の判断を説明できないと思いました。
そこで、異常時にどの内容を記録するのか、どの条件でログを出すのかを確認しました。単に「ログを増やした方がいい」と主張したのではなく、障害が起きたときに原因を切り分けるため、最低限何が必要なのかを見直しました。
実際、実装後に不具合が発生し、その記録を使って原因を比較的早く切り分けることができました。もしこの情報が無かったら、と考えるとぞっとします。
この経験で残ったのは、反対意見を言えたという満足感ではありません。あのとき確認した内容が、実際の調査に役立ったことでした。
周囲と違う意見を出すときは、空気に逆らうこと自体が目的になってはいけません。必要なのは、自分が気になっている点を具体的にし、なぜ確認が必要なのかを説明することだと思います。
根拠を聞いて自分の設計案を変えた
一方で、自分の意見を通さず、相手の考えを受け入れることもありますね。
銀行向けシステムの設計レビューで、私は処理速度を優先した案を出しました。利用時の応答が速くなるため、その方がよいと考えていました。
ところが先輩から、その設計では運用コストが増え、保守も複雑になると指摘されました。
最初に否定されたときは、正直すぐには納得できませんでした。自分なりに考えて出した案ですし、処理速度が重要だという考えにも理由があったからです。
ただ先輩が見ていたのは、その場の速度だけではありませんでした。運用を続けるためにどれくらい費用がかかるのか、障害や変更が起きたときに誰が保守するのか、5年後まで使うとしたらどちらの設計が扱いやすいのか。私が十分に考えていなかった条件を一つずつ示してくれました。
話を聞くうちに、私は自分の案へこだわる理由を見直しました。
処理速度を優先した考えそのものが間違っていたわけではありません。ただ、速度だけを見て、運用や保守にかかる負担を判断材料へ入れていませんでした。
そこで、先輩の案をもとに設計を見直しました。
これは、周囲に押されて自分の意見を引っ込めたというのではなく、相手の根拠を理解し、自分の判断材料が足りなかったと分かったため、考えを変えた、ということです。
学生時代に周囲へ合わせたときは、自分の理由がありませんでした。設計レビューで意見を変えたときは、変える理由を自分で説明できました。
この違いに気づいてから、意見を変えることを、すぐに妥協や敗北だと思わなくなりました。
同調と判断変更を分ける2つの確認
周囲と同じ結論になったとき、私は次の2点を確認するようにしています。
- 周囲と同じ結論を選ぶ理由を、自分で説明できるか
- 相手の意見に、自分の判断を変える具体的な根拠があるか
学生時代に笑ったとき、私には周囲と同じ態度を取る理由を説明できませんでした。「巻き込まれたくない」という気持ちはありましたが、それは行動が正しいと判断した根拠ではありません。
ログ不足の会議では、周囲に合わせず確認する理由がありました。異常時に原因を追えなくなる可能性があり、実際に何を記録するべきかまで確認できました。
設計レビューでは、自分の案を変える理由がありました。運用コスト、保守性、長期間使った場合の負担という、自分が見落としていた根拠を理解できたからです。
周囲と同じ結論を選んだとしても、その理由を自分で説明できるなら、ただ流されたとはなりません。逆に、周囲と違う意見を守り続けていても、相手の根拠を聞かずに意地になっているだけなら、それがよい判断とも限りません。
自分の意見を変えないことより、なぜその結論を選んだのかを説明できることの方が大切だと思います。
今でも言うべきことを飲み込むことがある
それでも、この違いに気づいてから、いつも迷わず意見を言えるようになったわけではありません。
会議の時間が押しているときや、自分より経験のある人がはっきり結論を出したときには、「今さら言わなくてもいいか」と飲み込むことがあります。あとになって、やはり確認すればよかったと思うこともあります。
以前は、意見を伝えるなら、相手の結論に強く反対しなければならないように考えていました。でも、周囲に流されないことと、何でも押し返すことは違いますよね。
その場で結論を変えられなくても、分からない点を確認したり、相手がそう判断した理由を聞いたり、自分が納得できていない部分を言葉にしたりすることはできます。
一方で、相手の説明に具体的な根拠があり、自分の見方が足りなかったと分かったなら、考えを変えることも必要です。
今でも完璧にはできません。ただ、何も考えず空気に合わせたのか、理由を理解して判断したのかは、あとからでも振り返るようにしています。
まとめ
周囲と同じ結論を選ぶときは、次の2点を確認しています。
- その結論を選ぶ理由を、自分で説明できるか
- 相手の意見に、自分の判断を変える具体的な根拠があるか
理由を考えず、その場の空気だけで合わせるなら同調です。一方で、自分が見落としていた条件や根拠を理解したうえで考えを変えることは、仕事上の判断を修正することだと思います。
今でも、言うべきことを飲み込んでしまう場面はありますが、周囲と違う意見を通すことだけを目指すのではなく、自分がなぜその結論を選んだのかは説明できるようにしておきたいと思っています。


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