48歳で会社を辞めたとき、自分の価値が急に分からなくなった時期がありました。
それまでは役職があり、担当している仕事があり、社内で頼られる場面もありました。ところが会社を離れると、それまで自分を評価してくれていたものが一度になくなります。
「会社の外でも、自分は通用するのだろうか」
そんな不安はありました。それでも、気になる技術を見つけると触ってみることだけはやめませんでした。
振り返ると、これは退職後に始まったことではありません。30代の頃から、分からないものを試して、思ったように動いた瞬間が単純に面白かったんですね。
52歳になった今も、生成AIを触りながら「なぜこうなるんだ」と考えています。会社の肩書きはなくなっても、この好奇心だけは残っていました。
48歳で会社を辞めると自分の価値が分からなくなった
長く会社で働いていると、自分でも気づかないうちに、会社の中での立場と自分の価値を重ねてしまうことがあります。
私にも、役職がありました。担当案件があり、困ったときに相談されることもあります。長く経験してきたことを必要としてくれる人もいました。
当時は、それが特別なことだとはあまり思っていませんでした。
ところが48歳で会社を辞めると、その基準が一度になくなります。
肩書きもない。担当案件もない。社内で「この件ならあの人に聞こう」と頼られる立場もありません。
そこで初めて、
「会社という場所がなくなったら、自分には何が残るんだろう」
と考えるようになりました。
長くIT業界で仕事をしてきたとはいえ、社内で通用していた経験が、そのまま外でも通用するとは限りません。
周りを見れば、新しい技術をどんどん覚える若いエンジニアもいます。
「自分が評価されていたのは、会社の中だったからではないか」
そんな不安もありました。
今思うと、退職直後の私は、自分がこれから何をできるのかより、今まで持っていたものを失ったことばかり見ていたのだと思います。
それでも気になる技術を触ることはやめなかった
不安はありましたが、技術そのものから離れることはありませんでした。
誰かに勉強しろと言われたわけではありません。資格を取らなければならないわけでもなく、すぐ仕事で必要になるとは限らない技術もありました。
それでも新しいものを見ると、
「これはどう動くんだろう」
「今までのやり方とは何が違うんだろう」
と気になります。
そこで実際に少し触ってみます。
うまく動けば、「なるほど、こういう仕組みか」と分かる。思ったように動かなければ、それはそれで気になります。
設定が違うのか。自分の理解が間違っているのか。それとも、そもそもの考え方が違うのか。
会社を辞めたことで、「仕事だから覚えなければならない」という理由は以前より弱くなりました。
それなのに、自分から触っている。
そのことに気づいたとき、技術を学んでいた理由は、会社で評価されるためだけではなかったのだと思いました。
肩書きがなくなっても、「分からないものを分かるようにしたい」という気持ちは残っていたんです。
30代の頃から「動いた瞬間」が面白かった
思い返すと、同じことは30代前半の頃にもありました。
当時、グラフを扱う技術を自分なりに試していたことがあります。
別に、それを覚えたからといってすぐ評価が上がるわけではありません。誰かから「ぜひ覚えてくれ」と頼まれたわけでもなかったと思います。
それでも気になって、試していました。
うまく表示できなかったり、思った形にならなかったりして、何度もやり直しました。
あるとき、誰もいないオフィスで作業していて、ようやく狙っていた形に動いたことがあります。
その瞬間、思わず声が出ました。
誰かに褒められたわけではありません。
それでも、
「おお、動いた」
と、単純にうれしかったんですね。
今振り返ると、この感覚はかなり大きかったと思います。
分からなかったことが分かる。うまく動かなかったものの原因が見えて、思った通りに動く。
それ自体が面白かった。
48歳で会社を辞めて、自分の価値が分からなくなったときも、この感覚までなくなったわけではありませんでした。
52歳の今も生成AIを試して「なぜだ」と考えている
52歳になった今は、生成AIのような新しい技術も試しています。
もちろん、最初から思った通りに動くわけではありません。
「こう指示したのに、なぜこっちへ行くんだ」
と思うこともあります。
少し条件を変えてみる。説明の仕方を変える。それでもうまくいかなければ、また別の方法を試します。
やっていることだけを見ると、30代の頃にグラフを触っていたときと、あまり変わっていません。
分からないから試す。
動かなければ理由を考える。
少し分かると、また別の疑問が出てくる。
新しい技術を追いかけること自体が目的ではありません。
私が技術を学び続ける一番の理由は、若手に負けないためではなく、分からないことを試す面白さをまだ失っていないからです。
仕事に使えるかどうかはもちろん考えます。でも、「仕事に必要だから」だけなら、ここまで長く続いていなかったかもしれません。
若手と競うためではなく経験と新技術をつないでいる
新しい技術を触っていると、若いエンジニアの覚える速さに驚くことがあります。
説明を少し読んだだけで使い始めたり、新しいサービスにも抵抗なく入っていったりする姿を見ると、
「この速さでは勝てないな」
と思うこともあります。
でも今は、そこで競う必要はないと思っています。
私が持っているのは、これまで現場で失敗した経験や、運用で困った経験、作った後に保守する大変さを見てきた経験です。
新しい技術を見たときも、
「できるかどうか」
だけではなく、
「これを実際の仕事へ入れて大丈夫か」
「障害が起きたときに困らないか」
「後から保守する人は扱えるか」
という見方をします。
新しい技術を覚える速さでは、若手の方が速いこともあります。
でも、長く現場にいたからこそ、その技術をどこで使うと効果があり、どこでは危ないのかを考えることはできます。
だから私は、若手と同じように覚えることより、これまでの経験と新しい技術をつなげることを意識しています。
昔の経験だけに頼るのでも、新しい技術だけを追いかけるのでもありません。
「これは何だろう」と試しながら、自分の経験に照らして考えてみる。
52歳になった今も、それが面白いと思えています。
まとめ
48歳で会社を辞めたとき、役職や担当案件、社内で頼られる立場がなくなり、自分の価値が分からなくなりました。
それでも、技術を触ることはやめませんでした。
振り返ると、理由は30代の頃からあまり変わっていません。
- 分からないものがあると試したくなる
- 思ったように動かないと理由を知りたくなる
- 分からなかったことが分かる瞬間が面白い
- これまでの経験と新しい技術をつなげて考えられる
30代の頃、誰もいないオフィスでグラフが思った通りに動いて思わず声が出たときも、52歳の今、生成AIを触りながら「なぜだ」と考えているときも、根っこの部分は同じなのだと思います。
会社の肩書きがなくなっても、若手と同じ速さで覚えられなくても、「これはどう動くんだろう」と思えるうちは、私はまだ技術を学び続けると思います。


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