数年続くと思っていた海外共同プロジェクトが、ある日突然中止になったことがあります。
何度も海外へ出張し、現地メンバーと仕様を詰め、最初は噛み合わなかったやり取りも、少しずつ通じるようになっていきました。別々の会社だったメンバーが、一つのチームになっていくような感覚もありました。
自分のキャリアの中でも、かなり大きな仕事になるかもしれない。そんなふうに思っていたんです。
それだけに、中止を聞いたときはかなり悔しかったです。ただ、その一方で「これで少し休める」と思った自分もいました。
この記事では、数年関わった仕事が突然なくなったとき、何もかも無駄になったように感じた私が、後の仕事で残っていた経験に気づき、何が消えて何が残ったのかを分けて考えられるようになった過程を書いています。
長く続けた仕事が終わり、気持ちを切り替えられないときに、どう受け止めればよいか迷っている方の一つの判断材料になればと思います。
数年続くと思っていた仕事が突然なくなった
そのプロジェクトは、海外の企業と共同で進めていたものでした。
何度も現地へ出張し、仕様の認識を合わせ、こちらの考えを説明して、相手の考えも聞く。最初のころは、同じ言葉を使っていても、考えていることが少しずれていることもありました。
仕様を一つ決めるだけでも時間がかかります。
「そこは当然こうだろう」と思っていたところで認識が違い、また説明し直す。そんなことを何度も繰り返しました。
でも、出張や打ち合わせを重ねるうちに、少しずつ変わってきました。
こちらがどこまで説明すれば伝わるのか。相手が何を気にするのか。どの部分は先に確認しておいた方がよいのか。お互いの癖や考え方が分かるようになり、最初ほど話が噛み合わないことも減っていきました。
別々の組織だったメンバーが、少しずつ一つのチームになっていく。そんな感覚がありました。
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この仕事は数年続くだろう。もしかすると、自分のキャリアの中心になるかもしれない。そんなふうに思っていました。
ところがです。現場とは別のところで判断が下り、プロジェクトは突然中止になりました。こちらではまだ仕事が続くつもりで進めていたので、最初は頭が追いつきませんでした。
「これで終わりなのか」
何度も出張して、時間をかけて仕様を詰め、やっとここまで来たのに。結果として形になる前に終わってしまったことが、とにかく悔しかったです。
「悔しいのに、ほっとしている」自分に戸惑った
でも、中止を聞いたときの感情は、悔しさだけではありませんでした。
出張が多く、日程もかなり厳しい仕事。移動して、現地で打ち合わせをして、戻ってからまた調整する。次の出張までに資料をそろえ、決められなかったことを持ち帰って確認する。
ずっと気を張っていた部分もあったのだと思います。
だから中止を聞いたとき、「これで少し休める」と、どこかで思った自分もいました。
悔しいのに、ほっとしている。その感情が自分でもよく分からず、少し戸惑いました。
あれだけ力を入れてきた仕事なのだから、もっと悔しがるべきではないか。終わって安心している自分は、実はそこまでこの仕事に思い入れがなかったのか。
そんなことまで考えました。
でも今振り返ると、どちらも本音だったのだと思います。終わってほしくなかった。でも、かなり疲れてもいた。
その二つが同時にあったのだと思います。
「全部無駄になった」と思った時期があった
しばらくは、「結局、全部無駄になったな」と思っていました。
成果物として残らなかったものもあります。予定していた形まで進まなかったものもあります。数年間かけて積み上げたものが、途中で消えてしまったように感じました。
特に苦しかったのは、「あれだけ時間を使ったのに、何も残らなかった」と考えてしまうことでした。
途中まで作った資料を見ても、「これも使われないんだな」と思う。
現地メンバーと何度も話した内容も、「結局、形にはならなかった」と考えてしまう。
中止そのものは、自分の判断で変えられることではありませんでしたが、当時は、結果が出なかったことと、何も得なかったことを同じように考えていたんですね。
すぐに「いい経験だった」と思えたわけではありません。むしろ、しばらくはそう思えませんでした。
後の仕事で残っていた経験に気づいた
考えが少し変わったのは、その後の別の仕事でした。
海外のメンバーと仕様を調整する場面があり、そのとき自然に、
「前提から説明した方がいい」
「決まっていることと、まだ決まっていないことを分けた方がいい」
と考えている自分に気づきました。
以前の海外共同プロジェクトで、認識の違いに何度も苦労した経験が残っていたんです。こちらでは当然だと思っていることも、相手には共有されていないかもしれない。
曖昧なまま話を進めると、後で大きくずれる。未決事項は未決事項として見えるようにしておく。
そうしたことを、以前より意識するようになっていました。
そのとき、「あの仕事、全部なくなったわけではなかったんだな」と思いました。
プロジェクトそのものは終わりました。予定していた成果も残りませんでした。でも、何度も説明したこと、認識を合わせたこと、相手と関係を作ったことまで消えたわけではありませんでした。
結果が出なかったことと、何も得なかったことは別だったんですね。
それからは、中止になった仕事を思い返すとき、「何が消えたのか」「何が自分に残ったのか」を分けて考えるようになりました。
次の仕事にはすぐ入り込めなかった
だからといって、次の仕事にすぐ気持ちを切り替えられたわけではありません。新しい案件が始まっても、以前ほど深く入り込めない時期がありました。
「また突然なくなるかもしれない」
どこかで、そんな気持ちもあったのだと思います。
一度あれだけ時間をかけた仕事が、現場とは別の判断で突然終わる経験をすると、次も同じように本気で入り込んでいいのか、少し怖くなりました。
以前のように、「この仕事を絶対に成功させたい」と最初から強く思えない自分もいました。
そこは、自分でも少し変わってしまったように感じました。無理に「次こそ頑張ろう」と思おうとしても、なかなか気持ちはついてきません。
それでも、目の前の小さな仕事はありました。
資料を少し分かりやすくする。
仕様の曖昧なところを一つ確認する。
会議で判断できるように情報をそろえる。
そういうことを一つずつやっているうちに、少しずつ仕事へ気持ちが戻ってきました。
大きな目標を作ったから立ち直れた、という感じではありません。
「今日はここまでやろう」
という小さな仕事を続けているうちに、
また次の仕事へ入っていけるようになった、という方が近いです。
まとめ
数年続くと思っていたプロジェクトが突然中止になったときは、「全部無駄になった」と思いました。
でも後の仕事で、それまでの説明や仕様調整の経験が自然に出てきて、成果が消えたことと、自分に何も残らなかったことは別だと気づきました。
長く関わった仕事が突然終わり、まだ次へ気持ちを向けられない方にとって、一つの判断材料になればと思います。


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