新人時代、上司から「大学院卒なのだから、即戦力として動け」と言われたことがあります。
当時の私は、それを期待の言葉とは受け取れませんでした。社会人として仕事の進め方もまだ分からない中で、「この程度のこともできないのか」と能力不足を責められているように思っていました。
その後、専門性の高い新機能をほぼ一人で担当することになります。参考資料も詳しい人も少なく、かなり苦労しましたが、その経験で身についた知識や、自分で調べながら形にした経験は、その後の仕事に残っています。
だから今でも、あの任せ方がすべて悪かったとは思いません。ただ、自分が管理職になって部下へ仕事を任せる立場になると、「難しい仕事を与えれば人は育つ」と単純には考えられなくなりました。
今の私は、仕事を任せることと丸投げの違いは、本人へ考える余地を渡しながら、困ったときに戻れる支援が残っているかどうかにあると思っています。
新人なのに「即戦力として動け」と言われた
新人だった頃、上司からこう言われました。
「大学院卒なのだから、即戦力として動け」
かなり厳しい言葉でした。
大学院を出て会社へ入ったとはいえ、社会人としての経験はほとんどありません。技術的な知識があっても、社内でどう仕事を進めるのか、誰へ何を確認するのか、どこまで自分で判断してよいのかまでは分かっていませんでした。
そんな状態で「即戦力として動け」と言われても、当時の私は「期待されている」と前向きに受け取る余裕がありません。
むしろ、
「大学院まで出ているのに、この程度なのか」
と言われているように感じていました。
今、管理職になった立場から振り返れば、早く一人前になってほしいという期待が含まれていた可能性はあります。ただ、上司本人に当時の意図を確認したわけではありません。
だから「あれは期待だった」「育てようとしてくれていた」と決めつけるつもりもありません。今の私が見るのは、厳しい言葉だったかどうかより、その後にどんな仕事を任せられ、困ったときにどんな支援が残されていたかです。
専門性の高い仕事をほぼ一人で任された
その後、私は専門性の高い新機能を担当することになりました。
簡単な仕事ではありませんでした。参考になる資料が多いわけでもなく、社内に詳しい人がたくさんいるわけでもありません。分からないことが出るたびに資料を探し、試しながら、自分で答えを見つけていく必要がありました。
「これ、本当に自分一人でやるのか」
そう思う場面もありました。
もちろん、文字どおり誰とも話せない状態だったわけではありません。ただ、今振り返ると、気軽に相談できる相手や、途中で方向が合っているか確認する機会が十分に用意されていたとは言い切れません。
そのため、迷っても「まず自分で何とかしなければ」と考えることが多かったです。
苦労はしましたが、その仕事を通じて得たものも確かにありました。分からないことを自分で調べる力、資料が少ない中で手がかりを探す力、専門性の高い機能を最後まで形にした経験。こうしたものは、後の仕事でも役立っています。
だから私は、この経験を単純に「丸投げされて最悪だった」とだけ振り返ってはいません。難しい仕事を任されたからこそ得られたものはありました。
ただし、得るものがあったことと、任せ方そのものが適切だったかどうかは別の話だと思っています。
経験は残ったが適切な任せ方だったかは今も迷う
ここは、管理職になった今でも少し迷うところです。
結果だけを見れば、私はその仕事から多くを学びました。専門性の高い仕事を一人で考えながら進めたことで、知識も経験も残っています。それなら、「厳しい環境だったから成長できた」と言うこともできます。
でも、それだけで良い育成だったと言ってよいのか。
自分が部下へ仕事を任せるようになってから、そこを分けて考えるようになりました。
たまたま本人が最後まで乗り越えられたとしても、その任せ方が他の人にも通用するとは限りません。本人がどこを目指せばよいのか分からず、どこまで自分で判断してよいのかも見えず、困ったときに相談できる相手もいない。それでも「成長のためだから」と任せ続けるなら、育成というより放置に近づきます。
一方で、難しい仕事だからといって、最初からすべて答えを渡してしまえば、自分で考える機会は減ってしまいます。
難しいところですよね。
私自身、新人時代に苦労した結果として多くを学びました。だからこそ今は、「苦労させること」と「考える機会を与えること」は同じではないと考えています。
管理職になって「任せる」と「放置」の違いを考えた
管理職になってからは、今度は自分が後輩へ難しい仕事を任せる側になりました。
そこで迷ったのが、どこまで手を出すかです。
質問されるたびに答えを教えれば、仕事そのものは早く進みます。でも、それでは本人が考える機会を奪ってしまうことがあります。反対に、「自分で考えて」と言って何も示さなければ、新人時代の自分と同じように、どこから手をつければよいのか分からなくなるかもしれません。
そこで私は、すぐに答えを言わず、考える方向や確認先を示しながら待つようになりました。
たとえば、
「まず、どこを確認すればよいと思う?」
「この資料を見ると手がかりがあるよ」
「ここまでは自分で考えてみて、迷ったらまた相談して」
というような伝え方です。
全部答えを教えるわけではありません。でも、「分からなくなったら戻ってきてよい」という状態は残します。
任せる以上、本人が悩んだり、少し遠回りしたりすることはあります。それも経験だと思いますが、どこへ進めばよいのか完全に分からなくなったときまで放置する必要はありません。
自分で考える時間を渡すことと、一人で抱えさせることは違います。
新人時代の自分を思い出すと、この違いはかなり大きいと思います。
難しい仕事を任せるときに確認する4つの支援
今は、部下へ難しい仕事を任せるとき、少なくとも次の4点を確認するようにしています。
- なぜその仕事を任せるのか説明しているか
- 本人へどこまで求めるのか分かるようにしているか
- 困ったときに相談できる相手がいるか
- 失敗したときや行き詰まったときに戻れる場所があるか
まず、「なぜ自分がこの仕事を任されたのか」が分からないと、本人には単なる押しつけに見えることがあります。
経験してほしいことがあるのか、得意な部分を伸ばしたいのか、それとも担当者として必要だから任せるのか。理由をすべて細かく説明する必要はなくても、「なぜあなたに任せるのか」が少し分かるだけで、受け取り方は変わります。
次に、求める範囲です。
「全部よろしく」では、どこまで自分で決めてよいのか分かりません。「ここまでは自分で考えてほしい」「ここから先は相談してほしい」と範囲を合わせておくだけでも、任された側は動きやすくなります。
相談先も必要です。
難しい仕事を任せておきながら、「そんなことまで聞くな」と言われれば、次から相談しにくくなります。本人が自分で考えることと、必要なときに相談できることは両立します。
最後は、行き詰まったときに戻れる場所です。
難しい仕事なら、うまくいかないこともあります。そのときに「任せたのだから最後まで自分で何とかして」とするのではなく、どこまで戻ればよいのか、誰と一緒に確認すればよいのかが分かっていれば、挑戦しやすくなります。
新人時代の私は、難しい仕事を任されたことで得たものが多くありました。だから今でも、部下へ少し難しい仕事を任せることはあります。
ただ、任せた後に「考えているだろう」「成長のためだから」と何もしないままにはしないようにしています。
本人が自分で進める部分と、こちらが支える部分。その境目を残すことが、任せる側の仕事だと思っています。
まとめ
新人時代の私は、「大学院卒なのだから、即戦力として動け」と言われ、その後、専門性の高い新機能をほぼ一人で担当しました。
かなり苦労しましたが、そのときに得た知識や、自分で調べながら仕事を進めた経験は後に残っています。
一方で、管理職になった今振り返ると、それだけで「あれは良い育成だった」とは言い切れません。
難しい仕事を任せるときは、
- なぜその仕事を任せるのか
- どこまで本人へ求めるのか
- 困ったときに誰へ相談できるのか
- 行き詰まったときにどこへ戻れるのか
まで考えるようになりました。
厳しい言葉だったか、優しい言葉だったかだけでは、任せることと丸投げの違いは分かりません。
新人時代の経験を振り返って、今の私は、本人が自分で考える余地を残しながら、困ったときには戻ってこられる状態を作るようにしています。

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