『Dr.STONE』第3話。ここで物語は単なる「サバイバル」から「思想の激突」へと一気に加速します。霊長類最強の高校生・獅子王司(ししおう つかさ)の登場。
彼が掲げる「選別」という名の理想郷は、組織という荒波を渡ってきた私のような人間にとって、非常に複雑な感情を抱かせるものでした。
関連:第2話はこちら)
アニメ『Dr.STONE』2話|1年間の「デバッグ」に耐えうる情熱。52歳エンジニアが思う、効率を超えた「必死さ」の価値
会社組織に潜む「司が憎んだ大人たち」
司は「石化した大人たち」を次々と破壊しながら「純粋な若者だけの世界」を目指します。彼が憎んだのは、「自分は動かず」「勉強もせず」「ただポジションという既得権益にしがみつく大人たち」でした。
実際のところ、会社組織という場所に長く身を置いていると、司が抱いたような憎しみを抱く若者の気持ちは痛いほど分かります。指示を出しても動かない、新しい技術を理解しようともしない、それでいて若者の芽を摘むような上司...
そんな光景を、私も現場で見てきた気がします。そこに「本人は迷惑だと思っていないのかもしれない」という、やるせなさが残ることもありました。
「私はああはなりたくない」。これまでそう思いながら働いてきた私にとって、司の過激な行動は、社会の不条理に対する一つの極端な回答のようにも映りました。
「元の世界」を信じ切れる千空の強さ
一方で千空は「全人類を救う」と断言します。
千空にとっての「全員救出」とは、単に人を生き返らせることではなく、石化前の「元の世界」を完全に復元することを意味しているのでしょう。
千空は、科学の力を使えば、たとえ世界が元に戻っても「何とでもなる」と信じている。科学への絶対的な信頼があるからこそ、過去を切り捨てずに済むのです。対して司は、元の世界では「どうにもならない」と諦めたからこそ、世界そのものを変えようとした。
エンジニアの世界でも、不具合があっても昔から使い続けているシステムを「もう一度磨き上げて使い続ける」のか「一から作り直す」のかという議論がありますが、千空のスタンスは、かつての世界に対する強い愛着と、自らの技術への誇りに裏打ちされた「究極のマイグレーション」だと感じました。
もう究極のエンジニアの意地みたいなものですね。
「論理」は、感情よりも気楽である
司のようなカリスマ的なパワープレイのリーダーと、千空のような徹底した論理性を持つリーダー。私がどちらと一緒にいて「気楽」かと問われれば、迷わず千空を選びます。
論理を重んじる環境は、私にとって予測可能性が高く感じます。感情に振り回されにくい分、技術者としては精神的なコストが下がる気がしました。
逆に、感情で動かされやすい人々にとっては、千空の徹底したドライさは時に残酷で、辛く感じるかもしれませんね。
もし私が「不要な大人」と言われたら
もし司の目の前で「君のような大人は新世界にはいらない」と言われたらどうするか。 私は「確かにそうかもね」と笑って、大人たちだけの小さなコミュニティで、のんびり隠居することを選択するでしょう。
若者は若者で、理想の新世界をガンガン作っていけばいい。
それは余裕というよりも、その場の状況を客観的に見て「どう動くのが最も平穏か」を考える、エンジニア的な最適解の選択です。
「気楽」を支えるのは、やはり科学の進歩
司が夢見る「自然の中での自給自足」は、若いうちは美しく見えるかもしれません。でも私は、年齢を重ねた自分を重ねるほど、やっぱり“便利さ”に支えられた暮らしのありがたさを強く意識しました。
SF映画みたいな話ですが、科学が進めば、家の中で人を助けてくれる仕組みも増えていくのかもしれない。千空が目指す「便利な世界」は、そんな想像をさせてくれるものでした。


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