若い頃の後悔はその後の仕事観をどう変えるのか|ジョジョ第1話から考えたこと

若い頃、間違っていると分かっていながら周囲に同調してしまい、あとで強く後悔した経験はありませんか。

私自身、学生時代に教室の空気に流されてしまったことがあり、その記憶は今でも『自分は何を守るべきか』を考える原点になっています。

この記事では『ジョジョの奇妙な冒険』第1話をきっかけに、若い日の後悔がその後の仕事観や誇りにどうつながったのか、52歳のエンジニアとしての実体験と重ねて整理します。

同じような迷いや後悔を抱えた人が、自分の仕事観を見つめ直すヒントになればうれしいです。

理不尽に同調してしまった「若さ」

物語の冒頭、ディオはジョナサンの平穏な生活を徹底的に、かつ冷酷に破壊します。愛犬を傷つけ、友人を奪い、孤独へと追い込んでいく。

そこまでの極端な悪意ではないにせよ、
若い頃には、理不尽さに飲み込まれそうになる場面はあります。

私にも苦い記憶があります。
それは学生時代、クラスの中にいた「いじめっ子」のような存在でした。

教室で誰かをからかう空気が広がったとき、本当はそれが間違っていると分かっていながら、自分が標的になることを恐れて同調してしまったことがあります。

あの時の、自分の誇りが指先から少しずつ砂のように崩れ落ちていくような感覚。それは「自分に嘘をつく」という、最も精神を削り取る行為でした。

ジョナサンは、ディオという理不尽に対して、ボロボロになりながらも「紳士」であることを諦めずに立ち向かいます。

到底まねできそうにもありませんが、私もまた、そうした若かりし日の後悔とそこから得た「自分の中に譲れない一線を引く」という決意を経て、今の自分を形作ってきたように思います。

職人の血統「エンジニアの孤独な誇り」

ジョナサンが「ジョースター家の血統」という運命を背負っているように、私の中にも、脈々と引き継がれている気質があると思ってます。

私はエンジニアですが、私の父もエンジニアでした。その背中を見て育った影響か、私には「細部まで徹底的にこだわらなければ気が済まない」という性質が深く根付いていると思います。

プロジェクトにおいて、「この部分は表面的に動けばいい」という妥協案が提示されることは少なくありません。ログ処理やエラー処理などユーザーからは見えない部分が多いですね。

たとえば、ある業務システムの改修案件で、画面の動作確認は通っているのに異常系のログ出力がほとんど設計されていないことがありました。

レビュー会議では「まずは納期優先で出そう」という声が多かったのですが、私は保守担当が原因を追えなくなることを考えて、エラー時の記録内容と出力条件を細かく洗い直しました。

結果として実装直後に発生した不具合も切り分けが早く済み、見えない部分を詰めておく意味、重要性を現場で改めて実感しました。

この例のように、現場に長くいるエンジニアほど、そうした細部が後のトラブル対応や保守で大きな差になることを知っています。

そうしたこだわりは確かに正しいのですが、それでも、

「納期が優先だ」
「そこまで誰も見ていない」

仕様レビューの会議では、こうした言葉が飛び交うことがあります。

よく言えば「合理的な考え方」と言えますが、そうした声に囲まれ一人で仕様書と向き合う時間は、ある種の「孤独」です。

時として「細かすぎる」と煙たがられたとしても、その執拗なまでのこだわりこそが良いプロダクトの仕上がりを左右し、最後の最後でシステムを支える防波堤になる。

日本の職人が持つような「妥協を許さない血」こそが、私のキャリアの土台にある、たった一つの誇りになっていると思います。

「天敵」がいない人生

ジョジョにおいてディオは、ジョナサンを限界まで追い込み成長させる「天敵」でした。しかし、改めて自分の52年の歩みを振り返ってみると、自分を劇的に変えた「天敵」と呼べる人物は思い当たりません。

なぜ私の人生にはディオがいなかったのか。

それはおそらく、私がこれまで仕事で出会ってきた人たちが、たとえ厳しい注文をつけたり、激しく意見を戦わせたりしたとしても、その根底には「仕事を成し遂げたい」という誠実さや、相手への最低限の敬意があったから、と思われます。

あるいは、どんなに理不尽に見える相手であっても、私自身がその人から憎しみや対立を見るのではなく、何かしらの「学び」や「反面教師としての教訓」として捉えてきた結果なのかもしれません。

ディオはジョナサンの光を強くしましたが、私を強くしてくれたのは、天敵による破壊ではなく、多くの「師」や「仲間」との衝突と対話の積み重ねだったのだと思います。

今でも印象に残っているのは、仕様の解釈をめぐって先輩エンジニアと何度も議論した経験です。

その場では自分の考えを否定されたように感じても、時間を置いて振り返ると、相手は品質を守るために別の見方を示してくれていました。相手を「敵」と見るか、「自分の視野を広げる存在」と見るかで、仕事から得られる学びは大きく変わるのだと思います。

「紳士」としての戦い

ジョナサンは、父「ジョージ・ジョースター」への愛と、家族の安らぎを守るためにディオと戦いました。若い頃の私にとって「戦う」とは、自分の能力を証明することや、高い壁を乗り越えることと同義でした。

でも52歳になった今、「これだけは何があっても守り抜かなければならない」と思う対象は、極めてシンプルで身近なものに集約されています。それは自分の家庭であり、隣にいる妻の笑顔です。

特別なイベントや劇的な成功ではなく「日々の何もない普通の毎日」。

朝起きて、仕事をして、夜に妻と笑い合いながら食事をとる。

そんないつもの日常風景が、いかに奇跡的で、どれほどの勇気と努力によって支えられているのかを、年齢を重ねるごとに深く実感するようになりました。

エンジニアとして「細部へのこだわり」を守り抜くことも、理不尽な評価に耐えることも、結局のところ、その「小さな幸福」という聖域を侵されないための、自分なりの戦いだったのだと思うのです。

まとめ:人間讃歌は「誇り」の継承

ディオという理不尽によって、ジョナサンは平穏な少年時代を奪われました。それでも自分の誇りを手放さずに立ち上がろうとします。

私も若い頃の後悔や、自分に嘘をついてしまった記憶を抱えながら生きてきました。ただ、そうした痛みがあったからこそ、今は「ここだけは譲れない」という一線を少しずつ持てるようになった気がします。

父から受け継いだ細部へのこだわりも、家族の笑顔を守りたいという思いも、今の自分にとってはどちらも誇りです。

ジョジョ第1話は、強さとは何かより先に、何を誇りとして生きるのかを考えさせてくれる話なのだと思います。

仕事でも同じで、納期や合理性だけでは説明できない「ここは譲れない」という線をどこに引くのかが、長く働くエンジニアの仕事観を少しずつ形作っていくのだと思います。

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