休日の朝、書斎のデスクで古い仕事ノートを整理していたら、入社当時に上司から「お前は大学院卒なのだから即戦力だ」と厳しく叱責された記述を見つけ、当時の苦い記憶が蘇りました。
52歳となり、管理職として部下を育てる立場も経験した今、かつては理不尽とも感じたあの厳しい言葉の真意と、指導者に課された「試練」の意味を改めて捉え直してみたいと思います。
新機能開発の丸投げ、後輩育成での静かな見守り、そしてプレッシャーに押し潰されそうな日々。そんな現場を支えてくれたのは、家族の存在でした。 過酷な環境の中で、私はどのように自立し、誰かのために背中を見守る存在へと変わっていったのか。
一人のエンジニアとして泥臭く向き合ってきた心の変遷をお話しできればと思います。
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一人で丸投げされた新機能開発と、泥臭い挑戦の始まり
エンジニアとしての私の土台は、当時の自分にはあまりに大きすぎる制約と役割を与えられたことから始まりました。それは、まるで『ジョジョの奇妙な冒険 第1部』第5話で描かれる「ワインの試練」のような、不条理ともいえるプレッシャーの連続でした。
勢いで新しい分野全てを引き受ける
劇中でツェペリ男爵は、ジョナサンに「なみなみと注がれたワイングラス」を渡し、一滴もこぼさずに敵を倒せと命じます。これは恐怖に打ち勝つ精神の安定を掴ませるための過酷な実践教育ですが、当時の私が任された業務も、まさにそれと同じような高いハードルでした。
激変する環境や、日々押し寄せる重圧のなかで戦う現代の仕事の現場において、このような厳しい試練と、その背中をじっと見守る指導者の存在は、自分自身を大きく引き上げる契機になります。
私が仕様設計の専門グループへと配属されたときのことです。元々その場にいた主要なメンバーとの間で、担当業務の分担を決めることになりました。その際に彼らから提示されたのは、自分たちは勝手の分かっている既存の機能を受け持つから、新しく追加される機能はすべてあなたが担当してほしい、というものでした。
当時の私は若さゆえの勢いで深く考えずに引き受けましたが、いま冷静に振り返れば、これは決して楽な役割ではありませんでした。
ユーザー寄りの直感的な機能とは違い、新機能はゼロからすべてを組み立てる必要があり、その範囲は一人のエンジニアが抱えきれる分量をはるかに超えていたからです。
専門領域の孤独な手探りと、一生モノの財産
この未知の領域での奮闘は、まさに孤独な戦いでした。
特にGPSに関連するような、技術的な深い理解が不可欠な領域が未開のまま残されており、私は来る日も来る日も、その技術的な難題に向き合い続けることになりました。
周囲と共有するために送信するメールの内容も自然と専門的になり、他のメンバーからは、「あなたのメールは技術寄りの内容が多すぎて、パッと見ただけでは何を言っているのか全然分からない」、とよく言われたものです。
しかし、その担当任務を必死の思いでやり遂げて無事に終わらせたころ、私の中には、他の誰にも真似できないほどの知識と、技術への深い理解が残っていました。
任されたからには何としてでもやり遂げる。その一心で泥臭く目の前の課題に向き合い続けた経験が、のちに私がリーダーとして多くの担当者の仕事を深く理解し、チームを導くときの大きな財産になったのは間違いありません。
ギリギリの境界線を見極めて、手出しを堪える見守りの姿勢
ジョナサンが極限のなかで自ら答えに気づくのを、ツェペリはワイングラスを手にしながらじっと見守っていました。
この「あえてすぐには答えを教えない」という姿勢。その難しさと大切さを私が深く理解したのは、実際に後輩を育てる立場になってからのことでした。
先回りして教えるという「誘惑」
製品の開発現場では、機種ごとに開発サイクルがずれて進行するため、常に新しい挑戦と緊張感が隣り合わせでした。
あるとき、私がかつて担当していた専門性の高い難解なパートを、後輩が引き継ぐことになりました。
記述的な内容も多いため、その後輩がはじめの段階から戸惑い、すぐ壁にぶつかるであろうことは、自分自身の過去の経験からも分かっていました。
そのため、何か困っていることはないかと、私からちょこちょこと様子を見に行ったり、話しかけたりしたものです。しかし、そこで私が先回りをしてすべての答えを教えてしまっては、彼の成長の機会を奪うことになるとも思っていました。
「自立」を促す指導者の忍耐
そうした考えの元、私は「ここまでのヒントを提示すればあとは自分の頭で考えて形にできるはずだ」、というギリギリの境界線を常に意識し、それ以上はあえて手を出さずに見守るように配慮しました。
「本当に大丈夫か」「この先自力で突破できるか」など、ハラハラする瞬間もありました。
でもその後輩はしっかりと自分の足で立ち上がり、やがて何人かのフォローメンバーを従えて、的確に指示を出しながら立派にプロジェクトを動かせるようになっていきました。
手を出して教えるほうが、その場の処理としては圧倒的に早くて楽です。それでも、相手の可能性を信じてグッと手を引くツェペリのような忍耐こそが、本物の自立を促すのだと改めて思います。
孤独なエンジニアを救ったのは、変わらぬ日常だった
恐怖で呼吸を乱せばその場で敗北する。
そんな極限のプレッシャーのなかで精神をコントロールしたジョナサンですが、私自身もまた、日々の業務のなかで言葉にできないほどの重圧に身をすくませる日々がありました。
帰宅しても消えない、張り詰めた緊張感
製品の開発現場というのは、終わりのないマラソンのようなものです。新機能開発の丸投げや、GPS関連の難解な課題、そして後輩の育成といった責任が重なり、プレッシャーに潰されそうになる夜もありました。
仕事から帰ってきても、頭の中は明日の設計や課題解決のことでいっぱいです。家に帰り着替えようとした時に力が抜けて床に座り込み、そのまま動けなくなってしまうほどの重圧を感じたことも一度や二度ではありません。
誰かに相談できるような簡単な悩みではなく、エンジニアとして自分自身の技術力や判断力が常に試されているような、そんな孤独な戦いが続いていました。
静かに見守る家族の支え
そんな張り詰めた糸のような私を支えてくれていたのは、家族の存在、妻の変わらぬ笑顔でした。
言葉で詳しく説明したわけではありませんし、何か劇的な励ましがあったわけでもありません。ただ、私が帰宅したとき、そこにはいつもと変わらない日常があり、静かに食卓が整えられている。その何気ない変わらない日々が、私にとってはどれほど大きな救いだったか分かりません。
私が後輩に対して「信じて見守る」という姿勢をとれたのは、自分自身が家族からそうやって見守られていたからこそ、その大切さを実感できていたのだと、今から振り返るとそう思えます。
誰かの成長を信じて待つという難しさと尊さ。結局のところ、自分自身が誰かに信じられ、見守られてきたという経験があって初めて、本当の意味で理解できることなのかもしれません。
新しい変化の波を前にして、頑なに殻を閉ざす人たち
ディオの呪縛と長年の怨念に囚われ、かつての誇り高き騎士の精神を失って襲いかかってきた黒騎士ブラフォード。
変化を受け入れられず、自分のプライドの殻にこもってしまう人間の姿は、現代の組織のなかにも共通する形で現れることがありますね。
SNSツール導入に見る、組織の「変化への拒絶」
今では誰もが仕事や日常で当たり前に使うようになった、とあるSNSツールが社内で試験的に導入され始めたころの話です。
新しい物事が好きだった私は、これはすぐにコミュニケーションが取れて業務が円滑になると直感し、周囲と活用を広げていきました。でも当時の私の上司は、この新しいツールが一体何の役に立つのか全く理解できないようでした。
ある日、上司は私の席にやってきて、こう問いかけてきました。
「あなたもそれを使っているらしいけれど、一体何が良いのか説明してくれないか。会社にとって本当に価値があると思っているの?正式に承認してほしかったら、俺を納得させてみろ」
まずはその物言いに驚かされ、一瞬、返す言葉が見つかりませんでした。
純粋な学習意欲というよりも、自分の理解できないものを排除しようとする警戒感と傲慢さが透けて見えるものでしたし、私は「実際使ってみれば良いことが分かると思う」ぐらいしか言えず、適当に濁した説明をしました。
自分で一度触れば数分で分かるはずの利便性を、なぜわざわざ頑なにはねつけ、他人に説得させようとするのか。強い違和感を覚えたこの出来事は、今でも鮮明に覚えています。
柔軟性を失わないことの大切さ
それからかなりの時間が経ち、そのツールが世の中の標準となったころ、その上司もようやく自分で使うようになり、何事もなかったかのように周囲と連絡を取り合っていました。
過去の実績やプライドにしがみつき、新しい変化に対して過剰な警戒感を抱いてしまう姿は、どこか物悲しくもあります。
頑なに心を閉ざすのではなく、瑞々しい変化の波を素直に受け入れる柔軟性を失ってはならない。そうならないために、私は常に自分の殻を破り続けるエンジニアでありたいと、その上司の後ろ姿から学んだような気がします。
「即戦力」という厳しい言葉に隠された、上司の本当の期待
SNSツール導入の件で頑固な上司の姿を見たとき、私は、かつて入社間もないころの上司に叱責された「あの一言」を思い出さずにはいられませんでした。
当時、私を叱責した上司の心にあったのは、理解できないものを排除しようとする恐怖ではなく、全く別の感情だったのではないかと。
「甘え」と、突きつけられた現実
大学院を修了して入社した当時の私は、謙虚なふりをしながらも、心のどこかに甘えがあったと思います。
入社後の配属された部署は、大学での専攻とは分野が異なっていた開発部門ということもあり、他の大卒の新入社員と同じように、「これから1から少しずつ仕事を身につければいいだろうと」、どこか浮ついた気持ちで過ごしていました。
大学院卒というだけで周囲より少し給料が良いことに対しても、その対価の意味を深く考えようとはしていませんでした。
そんなある日、上司から冷徹なトーンで告げられたのです。
「お前は大学院を出ているんだろう。会社から見れば、大卒の人間よりも即戦力として期待して採用しているんだ。そこのところをしっかり意識して動け」。
この言葉には相当なショックを受けました。そのショックは「自分は単なる新人の一人にすぎない」といった、当時の甘えた気持の裏返しでもあったと思います。
年月を経て気づく「本質的な親心」
しかしその後、私が管理職として人を組織し、採用の現場にまで深く関わるようなった時、あの言葉の真意が痛いほどよく分かるようになりました。
上司からすれば、高いポテンシャルを秘めているはずの人間が、他の新人と一緒になって毎日を何となく過ごしている姿が、もどかしくて仕方がなかったのでしょう。
「こんなところでいつまでも浮かれているな。お前にはもっと力があるだろう。大学で培った知見を応用して早く現場に活かせ」。
当時のあの上司の言葉の真意は、こうした意味だったのでしょう。それは期待の裏返しであり、若手に対する厳しい叱咤激励でした。
若いころには単なる理不尽な圧迫にしか聞こえなかった言葉も、自分自身が同じ重責を担う立場に立つことで、ようやくその「本質的な親心」に気づくことができたのです。
まとめ|厳しい言葉の真意と、次の世代へつなぐこと
若い頃に課された厳しい制約や、到底一人では抱えきれないと思えた過酷なタスク。工程のなかで耳に痛かった上司からの辛口な言葉。それらすべては、当時の私にとっては大きな壁であり、時には反発したくなるような試練でした。
しかし、その厳しい言葉の裏にあった指導者の本当の期待に気づき、目の前の課題に泥臭く向き合い続けることこそが、新しい時代で自立するための本物の波紋になるのだと、いま強く感じています。
甘えを許さない厳しさは、相手の可能性を誰よりも信じているからこその裏返しです。自分が育てる立場になったからこそ、その視点を忘れずに、これからも目の前の物事に向き合っていきたいと考えています。

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