厳しい上司の言葉は期待だった?管理職になって気づいた指導の真意

休日の朝、書斎で古い仕事ノートを整理していると、入社したばかりのころに書いた短いメモが目に入りました。

「大学院卒なのだから、即戦力として動け」

文字を見た瞬間、叱られたときの重たい空気まで戻ってきた気がしました。当時の私は、その言葉を理不尽な叱責として受け止め、新人なのに、なぜそこまで求められるのか、正直納得できませんでした。

それから長い年月がたち、私自身も管理職として部下や後輩を育てる立場を経験しました。そこでようやく、あの言葉には厳しさだけではなく、「もっとできるはずだ」という期待も含まれていたのではないかと思うようになったのです。

もちろん、厳しく言えばすべて指導になるわけではありません。この記事では、無茶に思えた仕事を一人で抱えた経験や、後輩へ手を出したくなる気持ちを堪えた経験を通して、厳しい言葉と単なる丸投げは何が違うのかを考えます。

新人なのに即戦力を求められた

大学院を修了して入社した当時、私は開発部門へ配属されました。ところが、大学で学んできた分野と、実際に担当する仕事は同じではありません。

そのため、自分では他の新入社員と同じように、これから少しずつ仕事を覚えていけばよいと思っていました。大学院卒ということで給与が少し高いことについても、そこにどのような期待が込められているのかまで深く考えていませんでした。

たぶん、表面上はまじめに仕事をしていたと思います。ただ、心のどこかに「まだ新人なのだから」という甘えはあったのでしょう。

そんなとき、上司から冷たい調子で言われました。

「お前は大学院を出ているんだろう。会社は大卒者よりも即戦力として期待して採用している。そこを意識して動け」

これには、かなりショックを受けました。

大学院を出たからといって、知らない仕事が急にできるわけではありません。それなのに、学ぶ時間さえ許されないような言い方に聞こえましたし、「自分はそこまで期待に応えられる人間ではない」と突きつけられたようにも思えました。

当時の私には、期待ではなく、能力不足を責められた言葉としてしか受け取れませんでした。

無茶な仕事を任されて初めて分かったこと

その後、私は仕様設計を担当する専門グループへ移りました。

既存の機能は、以前から担当しているメンバーが受け持つことになり、新しく追加される機能は私がまとめて担当する流れになりました。若かった私は深く考えず、「分かりました」と引き受けています。

しかし、実際に始めてみると簡単ではありません。

既存機能には過去の資料や担当者の知識がありますが、新機能には参考にできるものがほとんどありません。ゼロから仕様を考え、関係者へ説明し、技術的な課題を一つずつ解かなければなりませんでした。

とくにGPSに関係する領域は専門性が高く、社内でも詳しい人が限られていました。分からないことがあっても、誰かに聞けばすぐ答えが返ってくるような環境ではありません。

資料を探し、仕組みを調べ、自分なりの仮説を立てて確認する。その繰り返しでした。

周囲へ送るメールも自然と技術的な内容が増え、「あなたのメールは、何を言っているのか、ひと目では分からない」と言われたことがあります。

そのときは少し腹も立ちました。
こちらは必死で調べているのに、という気持ちがあったのでしょう。

ただ、今思うと、専門知識を持っていることと、それを相手へ分かるように伝えることは別です。難しい仕事を抱えたことで、技術だけでなく、説明の仕方まで問われていたのだと思います。

丸投げだったのか、任されていたのか

この仕事が適切な任せ方だったのかと聞かれれば、今でも迷います。

一人で抱えるには範囲が広く、十分な支援があったとも言えません。体調や進捗によっては、途中で立ち行かなくなっていても不思議ではありませんでした。

その意味では、単なる「成長の機会」というきれいな話だけでは片づけられません。

一方で、必死にやり遂げたあと、自分の中には他の人にはない多くの知識が残りました。後にリーダーとなり、複数の担当者をまとめる立場になったときにも、その経験はとても役立つことになります。

担当者がどこで困るのか。技術的な説明がなぜ伝わらないのか。進捗報告の裏に、どれほどの迷いや焦りが隠れているのか。

自分で苦しんだからこそ、見えるようになったことがありました。

任せる仕事に意味があるかどうかは、
難しさだけでなく、支援と振り返りがあるかで変わると思います。

難しい仕事を与えて放置するだけなら、育成ではありません。失敗したときに戻れる場所があり、必要な場面で助けを求められるなら、厳しい仕事も成長につながる可能性があります。

当時の私には、その違いを考える余裕などなく、
ただただ、目の前の仕事を終わらせることで精いっぱいでした。

後輩を育てる側になって迷った

自分が教える立場になると、
上司の難しさが少しずつ分かってきました。

あるとき、私が以前担当していた専門性の高い業務を、後輩が引き継ぐことになりました。その領域が難しいことは、誰よりも私が知っています。

資料のどこで迷うかも、
どの部分を誤解しやすいかも、おおよそ想像できました。

だから、つい声をかけたくなります。

「そこは先に確認したほうがいい」
「その方法だと後で困る」
「答えはこうだ」

こちらが教えてしまえば、その場の仕事は早く進みます。後輩も困らずに済みますし、私も失敗を心配しなくてよい。手を出したほうが、圧倒的に楽なのです。

でも、すべてを先に教えてしまうと、後輩は自分で考える機会を失います。

そこで私は、どこまで伝えれば自分で先へ進めるかを考えるようになりました。完全な答えではなく、考える方向だけを示す。確認すべき資料を教え、あとは少し待つ。

これが思った以上に難しいのです。

手を出さずに待つのは楽ではない

仕事には期限があり、
後輩が悩んでいる間も時間は過ぎていきます。

本当に間に合うのか。間違った方向へ進んでいないか。困っているのに、相談できずにいるのではないか。

様子を見に行っては、声をかけすぎないように戻る。いや、でも放っておきすぎてもいけない。そんなことを何度も考えました。

『ジョジョの奇妙な冒険』で、ツェペリ男爵がジョナサンへワインをこぼさずに戦う試練を与える場面があります。答えを直接教えるのではなく、本人が極限の中で気づくのを見守る場面です。

若いころは、試練を与えられる側の苦しさばかりが目に入りました。ところが、育てる立場になると、見守る側にも別の緊張があると分かります。

後輩は少しずつ仕事を覚え、やがて複数のメンバーへ指示を出しながら、プロジェクトを動かせるようになりました。

その姿を見たときは、うれしいというより、まず安心しました。「あのとき、全部教えなくてよかったのかもしれない」と、後から思えたのです。

指導する側に必要なのは、答えを知っていることより、相手が自分で考えられる範囲を見極めることなのだと思います。

自分が支えられていたことにも気づいた

仕事の責任が重なっていたころ、
帰宅しても頭の中から設計や課題が離れませんでした。

家に着き、着替えようとしたところで力が抜け、そのまま床へ座り込んでしまったこともあります。誰かに説明しようとしても、技術的な事情や職場の人間関係まで話さなければ伝わりません。

結局、何も言わないまま過ごす夜も多くありました。

そんな私を支えてくれたのは、家族の普段通りの生活でした。

帰れば食卓があり、妻がいつもと変わらず話しかけてくれる。劇的な励ましがあったわけではありません。でも、職場ではずっと気を張っていた私にとって、その変わらない日常はありがたいものでした。

後輩を見守る立場になってから、
自分もまた見守られてきたのだと気づきました。

何も言わずに待つことは、無関心とは違います。
相手が戻ってきたときに受け止められるようにしておく。それも一つの支え方なのでしょう。

上司の厳しい言葉だけで私が成長したわけではありません。難しい仕事へ向き合える環境や、失敗しても日常へ戻れる場所があったから、何とか続けられたのだと思います。

厳しい言葉が期待とは限らない

管理職になった今でも、
厳しい言葉をすべて肯定するつもりはありません。

怒鳴る、人格を否定する、達成できない仕事を押しつける。そうした行為まで「期待しているから」で済ませてしまうのは危険です。

期待を伝えるなら、少なくとも次のようなものが必要だと思います。

  • なぜその仕事を任せるのか
  • どこまで本人へ求めているのか
  • 困ったときに誰へ相談できるのか
  • 失敗したあと、どう立て直すのか

これらがないまま「成長してほしい」と言われても、受け手には放置としか見えません。

私が上司から言われた「即戦力として動け」という言葉にも、説明は足りなかったと思います。期待しているなら、何を期待しているのか、もう少し具体的に伝えてほしかった。それが当時の本音です。

ただ、管理職になったことで、
上司側のもどかしさも想像できるようになりました。

大学院まで学んだ人間が、自分の可能性を狭く見積もり、「まだ新人だから」と周囲に合わせている。上司には、そんなふうに見えていたのかもしれません。

「もっと考えて動けるはずだ」
「学んできたことを、そのまま使うのではなく応用してほしい」
「ここで小さくまとまるな」

言葉の選び方は厳しくても、
その奥にはそうした期待があったのでしょう。

これは年月がたった今だからできる解釈です。当時すぐに理解できなかった自分が未熟だった、と責める気にもなれません。言われた側には言われた側の苦しさがあります。

その両方が分かるようになったことこそ、私にとっては一番大きな変化でした。

まとめ|厳しい言葉の真意は後から分かることもある

入社したばかりのころに言われた「大学院卒なのだから即戦力として動け」という言葉は、長い間、苦い記憶として残っていました。

しかし、難しい仕事を一人で抱え、後輩を育て、管理職として人を見る立場になったことで、少しずつ受け止め方が変わりました。

厳しい言葉がすべて期待の裏返しとは限りません。支援も説明もない仕事の押しつけを、育成と呼ぶこともできないでしょう。

それでも、あの上司は私の中に、自分でも気づいていなかった可能性を見ていたのかもしれません。

当時の言い方をそのまま肯定することはできませんが、言葉の奥にあったかもしれない期待なら、今は少し分かります。

自分が後輩へ仕事を任せるときには、厳しさだけを引き継がないようにしたい。なぜ任せるのかを伝え、困ったときには戻ってこられる場所をつくる。そのうえで、すぐに答えを教えずに待つ。

たぶん、それが私なりに受け取った、あの言葉への答えです。

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